エッセイ

月報「あしょろ」から、エッセイを転載しています。

2018年6月号
『日々つれづれ』
−世にも不思議な人工内耳のお話−
「棚から奇跡のぼた餅」

方川広美

2016年6月号で「人工内耳と歩む険しい道」を連載してから2年が過ぎようとしている。あれから奇跡が途絶えてしまったので書くことがありません!トホホッ、ということではなく、あまりにも色んな難題が課せられる日々、「神様〜、もういいよ、わたしにはこんな難題は解けません」と嘆きながら、今までできなかったことにトライして、達成感も多い日々を過ごしていた。奇跡の続きを書かずにいたこの2年、難題に加えて、珍事が続いた。それは、兄の帰国である。

スイスに移住して30年を過ぎた兄は、髪の毛は黒いけど、生粋のスイス人となんら変わりない人間性を持ち、日本に帰国することは10年に一度くらいだった。母、兄、妹のわたし、三人が一同に会うのは、3,4年に一度、アメリカだったり、スイスだったり、マレーシアだったり。なんとも奇妙な家族関係である。

それが、昨年の3月父方の叔父が危篤になり、兄は急遽帰国。さすがに、直行便で成田まで13時間の長距離で、葬儀には間に合わなかったのであるが、9年ぶりの帰国となった。4年ぶりに会う母(83才)の老いを目の前にして何を考えたのか・・・。兄は6月に再び帰国。今年の春叔父の一周忌にまた帰国。このことに、わたしはびっくり仰天。通過中の船舶や飛行機が突如何の痕跡も残さず消息を絶つ海域とされるバミューダトライアングルの謎に匹敵する珍事だった。8才も歳が離れた兄と妹、血縁というつながり以外に何もないのであるが、3回の帰国に際して、兄はわたしに何度も、◯◯◯の宣伝を繰り返した。「広美の時代が来た!」◯◯◯便利だよ」と。◯◯◯とは???答えは、スマホ!LINE!いまやスマホの所有者が人口の80%。そんな中でわたしはガラケー派を貫いていた。電車で通勤や出張などないわたしにスマホは不要。自宅にパソコン、光ファイバー契約していれば、通話とiモードを使えるガラケーを持てば、急にホテルを予約するときはiモード、人との連絡はメールで事足りていた。一ヶ月のドコモガラケー契約は1200円だった。なぜか、わたしの周りにはガラケー派が少なくなかった。必要は十分足りる!と自分の考えを貫くガラケー派。しかし、兄は繰り返す。「どうしてスマホを持たないの?ぼくの周りではもう通話なんて使ってないよ。みんなLINEを使う。通話が難しい広美にはいい時代が来たんだよ。」

なんだかなー。この世の中で障害者という少数派として生きることを余儀なくされ、自分が自分でいいと思えるようになるまで苦悩の長い時間を過ごした。そんなわたしは、みんなががスマホだから、わたしもスマホに、という気持ちにはならなかったのである。自宅のPCで、インターネットバンキングもショッピング、Amazonプライムで映画も見れる、必要なことはなんでもできる、それでいいじゃないか、と。

それでも、兄は執拗にスマホを勧める。端末の買い替え、高い月々の料金に難色を示すわたしに、兄はこう言い張った。「今より月2000円高く料金払うとしても、それだけの価値があるよ!」と。こうして、わたしはインターネットでスマホ調査を始めた。今はたくさんの格安スマホがあり、フリーSIMカード購入で簡単にキャリアから格安スマホに替えることもできる。料金は安いし、これならいいか?と考えた。ところが、「スマホ」で検索していたら、あるニュースの動画が。「ドコモの見える電話」だ。通話の内容がスマホの画面に文字として表示されるという。こちらからは音声で通話、相手からの通話は文字として表示、つまり、声と文字のやりとりになるのだ。これは画期的。

2013年2月に2個目の人工内耳を埋め込んでから、わたしはそれまでできないことができるようになった。人との会話、生活音、ドアベル、カーナビ、鳥のさえずりまで聞き取れるようになった。それだけでもすがすごいことなのだが、難しいことは電話の通話だ。連絡にはメールが使えるが、行政や病院などの問い合わせなどはほとんどが固定電話だ。家族とは固定電話・ケータイで話すことができた。家族の口調に慣れているし、家族はわたしの内情を知っていて、わかりやすくはっきりと話してくれるからだ。しかし、たいていの場合、問い合わせの電話では、そうはいかない。はっきりしない口調、早口、言葉が聞き取れないのだ。

そのような電話をする必要があるときは、ブラッドの帰宅を待つししかなかったわたしは、「見える電話」なるものに大いに興味をそそられた。さっそく見える電話について調べると、2017年ドコモが開発して、ドコモのスマホ契約でなければ使えないことが判明。今はまだ商品化されていない。モニターを募集して、モニターになった人だけが使えるということだった。わたしはLINEに興味がなかったが、見える電話のモニターになって使ってみたい!という願望が湧き溢れた。頭の中で流れるビートルズの曲に惹かれて、2個目の人工内耳埋め込みを決断したときと同じだった。わたしは見える電話に心を奪われて、ドコモとのスマホ契約へと舵を切った。

ちょうどそのとき、ドコモはキャンペーンでiPhone7を640円で売っていたので、端末購入はO.K.ドコモのスマホ契約は、パケットプランをしなければならない。家でWIFIを使うから、そんなに必要ないのに〜〜、と言っても仕方ない。パケットプランで一番安い2GB3500円を選んで、見える電話のモニターをトライすることを考えて、通話プランはカケホーダイライト(5分以内の通話は無料)を選んだ。使える割引をすべて使って料金は月4900円。今までのガラケー月料金1200円の4倍である。(泣)

さて、「棚からぼた餅」というタイトルなのだから、この見える電話は当たりだったのか?

見える電話は、まずは見える電話アプリからSMS、ブラウザ、と繋がって、相手との通話に至るのであるが、その間に3回アイコンをタップしなければならないという手間がかかる。慣れないうちは、どれをタップ?とわからず、何度も自宅の固定電話にかけて練習。病院の予約変更、役場に問い合わせなどに使ってみたら、相手の声が文字に変換されるには少し時間がかかるから、わたしの返答が遅くなることがあり、相手は不思議に思って「もしもし」と聞きかえしてくることがよくある。(声が伝わるまで時間がかかる海外中継のインタビューを想像するといい。)また、「ゴミ投げの分別」について問い合わせすると、相手の言葉が「5ミリですか」と表示に。おそらく、「ゴミ投げですか?」と聞いているのであろう。やはり、音声入力のアプリも限界が。それでも、要件は伝わり、完璧と言えないまでもやりとりができて、用事がたせた。まあまあよし、という感じだった。このとき、わたしはまだiPhoneの威力に気づいていなかった。

ある日わたしのスマホの通話着信が鳴った。宅配を送ったお礼の電話だった。彼女はわたしが通話が難しいということを忘れて電話をかけてしまったという。ところが、今までガラケーや固定電話で聞こえる声より、はっきり声が聞こえるのだ。9割くらい内容も聞き取れた。この電話のおかげで、わたしは見える電話ではなく、iPhoneがわたしの通話に威力を発揮する!ことを知ることになった。なぜ、固定電話やガラケーで難しかった通話が、iPhoneで聞き取れるのか。

人工内耳は、耳にかけた機械(プロセッサー)で音を拾い、聴神経に埋め込んだワイヤーに伝達できる機械音に変換して、ワイヤーを通して聴神経に到達する仕組みになっている。わたしの聞いている音は自然音に近いけれど、機械で作った音なのである。それに慣れているわたしの聴覚は、iPhoneの通話音(一般的にiPhoneの通話音はガラケーより機械音で少し聞きにくいと言われている音)をはっきりと聞き取ることができたと思われる。

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイによる福音書7章7〜8節)というけれど、いろんな偶然からわたしが叩いた見える電話の門は、開かれるとそこにiPhoneがあった。iPhoneを手にすると、失聴になって15年探し求めた通話というぼた餅を神様だから頂いた。

苦労はなんのため?苦労の旅を通ってこそ、みつけたときの感動は何ものにも代え難い。ハレルヤ。

(引用聖句は聖書 新共同訳©日本聖書協会より)

iPhoneは、Apple Inc.の商標です。




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発行年月 タイトル  筆 者 
2018.5 休載
2018.4 休載
2018.3 人の振り見て… POCO
2018.2 休載
2018.1 休載
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