『日々つれづれ』
-人工内耳の奇跡(1)-
このエッセイはバックナンバーです。
2013年12月号
方川広美
2003年失聴、2005年左耳にコクレア社の人工内耳埋め込み手術、そして、2013年9月18日、右耳に人工内耳埋め込み手術をした。全身麻酔の手術後、一晩は吐き気がひどいのがいつものことなのに、今回はさほど苦しむこともなく一晩をすごし、2日後には買い物に9階の病室から2階のファミリーマートまで歩いて降りるくらいに元気だった。途中で担当医の先生に見つかって、「無理したらダメですよ」と注意されてしまったけれど。(^o^) そして、手術の後3日目の回診のこと、執刀医の先生から思いもしなかった驚くべき事実を知らされたわたしは、不思議な糸を手繰り寄せ、長い苦悩の10年を思い出す旅に出たのである。そして、失聴から紆余曲折の10年の旅路に多くの奇跡が埋まっていたことを発見することになった。奇跡の連鎖だ。その一つ一つが繋がって、今わたしはここにいる。
2005人工内耳埋め込み手術のとき、わたしの行く手を遮る大きな壁があった。左耳と右耳どちらに人工内耳を埋め込むか???(人工内耳埋め込み手術は片方しか厚生医療適用にならない。もし、両耳に埋め込むならふたつ目は健康保険適用にならず、自費で400万円。)o( だから、日本では片耳埋め込みが主流で、両耳埋め込みの情報はなかった。)どちらの耳に人工内耳を埋め込むかは、わたしにとって重要な問題であり、簡単に決められなかった。
なぜなら、医師からの説明とインターネットで調べた情報で当時のわたしが知り得た情報は、
1.一般的に右のほうが神経が太く、右耳に人工内耳を埋め込んだ方が聞こえがよくなる傾向がある。しかし、2.人工内耳を埋め込むと、聴神経にワイヤーを差し込むので、残存聴力は消えてしまう。まれに残存聴力が消えない人もいるが。そして、3.わたしには、右耳に少しだけ自然音を聞き取る残存聴力があった。(ドアがしまる振動音やスリッパの音、寝息がかすかに聞こえるなど。)左耳には全く聴力は残っていなかった。だけど、4.これらのことはあくまでも確率だから、結果は埋め込んでみないとわからない。人工内耳埋め込み後残存聴力が残るかどうか、聞こえの程度は人によって違う。埋め込んだ後のことは、誰にもわからない。あなたなら、どうしますか?
わたしは悩みに悩んだ。右側に埋め込んだほうが聞き取りはよいかもしれないが、右に埋め込むことにより右のわずかな残存聴力がなくなるだろうことがどうしても受け入れられなかったのだ。しばらく人工内耳の埋め込みをせず、音が聞こえない生活を続けることにした。
音が聞こえないとはどういうことか?日常生活に欠かせない電話の通話を含め人との会話は聞き取れない。アラーム、ドアベル、車の音も聞こえない。テレビもラジオも映画も音楽も音に関する娯楽は一切×。病院で名前を呼ばれても聞こえない。それでも、人は生きていける。だけど、失聴から1年と半年たったころ、限界はやってきた。それは自分の言葉・発音だった。「わたし」を「ああし」と言うようになった。そんなわたしを見続けた家族の辛さはいかほどだったか。言葉の発音がおかしくなっていることを知らされたわたしは、人工内耳埋め込むことにした。全く聞こえない、失う残存聴力がない左ににつけることに決めた。阪大病院で2回PET検査を受け、「左の聴神経はまだ反応があるから、人工内耳で拾う音に反応するだろう」という検査結果 だった。こうして、左に一つ目の人工内耳を埋め込む手術は2005年9月16日、失聴から約2年後だった。
人工内耳の装着者で、聞き取りがよい人は、テレビ、ラジオ、電話もO.K.と言われているが、左に人工内耳を埋め込んだわたしの聞き取りは、静寂下で、距離が近い、1対1の会話、顔を見ての会話はようやく60~70%くらいまで理解できる程度。聞き返すことが多かった。距離が開くと×。雑音下や、複数の人の話は聞き取り×。電話、テレビ、ラジオ、音楽×。埋め込んで8年、音を拾う耳掛式の機械の調整を繰り返してきた。(PCで言えばソフトの設定を変更するように、人工内耳も音を拾うプログラムをその人の聞き取りに合うように設定を探していく)それでも、聞き取り向上はなかった。「右につけたほうがよかったのだろうか?」と何度も思うことがあった。失聴という自分の体に異和感を感じた。他人の体内にいるような、自分は自分でないようなかんじがした。それでもわたしは大きな生活の変化に四苦八苦しながら順応の方法を探し求め、少しづつ少しづつ失聴のIDを自分の一部にしていった。「肌や髪の色が違うように、音の聞き取りも、その違いは自分の一部に過ぎない」と思うようにした。失聴が自分の一部に(それが当たり前と思うように)なるまで2003年の失聴から9年という長い年月がかった。こうして、わたしは失聴という体にどっしりと腰を据えた状態で、2013年を迎えたのである。
ところがである。2013年1月末、ビートルズの曲が頭の中で流れて、止まらなくなった。(何かの拍子に思い出した曲が頭から離れなくなる現象だ。)また音楽が聞きたい。テレビも電話もダメなわたしに、音楽が聞こえることはない。わかっている。それでも、YouTubeでビートルズの曲を再生して、聞いてみる。音楽としては全く聞こえない。歌詞もわからない。ザーザーという音が聞こえるだけ。頭の中に流れているのはビートルズの曲とわかっているが、歌詞は覚えていない。どの曲だっけ。気になって、ビートルズの曲の歌詞をかたっぱしからインターネットで検索して、自分の頭に流れている曲に歌詞を当てはめて、曲を探し出すことを繰り返す。この曲だ!とわかったら、自分の記憶の中の曲に歌詞がぴたりとおさまって、頭の中で記憶からの再生になる。人間の記憶力のすごさに驚く。だけど、わたしにはもう音楽を聞くことはできない、記憶に残っている音楽をなんとか再生することはできるけど、新しい曲を聞くことも楽しむことは二度とない。そう思うと悲しかった。そのことがきっかけで、両耳装着を考えるようになった。諸外国では当たり前の両耳装着の記事を読んだ。後40年生きるとしたら・・・。400万かかっても、右耳に人工内耳を埋め込む価値があるのでは?と思うようになった。埋め込んでよくなるという保証はないけど、音楽が聞けるようになるかも、人との会話がもっと聞こえるようになるかもしれない。、400万のリスクをかけてもいいのではないか?と。大博打である。
2月、左の人工内耳の機械調整のために札医大病院へ。執刀医の診察も受けて、自費で右にも人工内耳埋め込みを考えていることを話す。すると、1年ぶりの聴力検査をすることに。1.わずかな残存聴力はあきらかに低下していた。2.8年たっても左耳の人工内耳の聞き取りはよくならない。「したがって、右側に人工内耳埋め込み手術は健康保険(障害者2級の健康保険)適応になります!」と言われ、思いもしない医師の言葉に驚いた。インターネットで調べても、そんな話は聞いたこともなかったからである。(障害者2級健康保険証は医療費は無料、かかるのは食事や部屋代などの入院費だけ。)
つづく