Aさん
わたくし生まれも育ちも、中仙道は板橋宿です。幼少の頃より、毛虫、カエル、ヘビなどなど、生き物大好き少年でした。興味が高じて北海道の生物学系の大学に進学し、卒業後自然豊かな足寄町に居を構えました。わたくし、映画「男はつらいよ」の『寅さん』に心酔し、シリーズ48全作(ただし、リメイク版1作、昨年上映の「おかえり寅さん」の記念版を含めると50作品)を完全制覇。なおかつ寅さんの生家、柴又界隈を幾度となく散策するのが生涯の楽しみにしております。
わたしの実家は、神棚も仏壇もない家でした。よって神仏に祈りをささげるという習慣自体ございませんでした。そんなわたくしも27歳で結婚するわけですが、相手はクリスチャン家庭で育ったバリバリのクリスチャン。想像してみてください。しかしながら、遠回りをしましたが、20年ほど前に無事、洗礼を受けました。まあ、寅さん同様、細かな面倒は嫌いなので、すべて神様に丸投げした次第です。それからが聖書との悪戦苦闘の日々が始まるわけです。もっとも初めの創世記から躓きの連続となっています。足寄教会は現在無牧状態です。月に一度のメッセージを任され、自分の理解を超えた聖書の疑問点、矛盾点を一つずつ克服する日々が続いております。先日、99歳で他界された瀬戸内寂聴さんは愛の人です。寅さんも相手の女性の将来の幸福を願い、ことごとく失恋するのですが、これこそ究極の愛ではないでしょうか。寅さんも愛の人です。こんなダメ人間なわたしを拾ってくれた神様は大変だと思います。これも愛そのものです。「神様」つらいでしょうけど、今後ともご一緒させてください。
Bさん
わたしが教会に行くようになったきっかけは、十字式健康普及会に勤めたからです。今は亡き代表の安久津弘子さんが「うちは宗教法人で仕事をしているので、できれば日曜日に教会に来てくださると嬉しいです。」とお誘いを受けました。夫の両親はすでに亡くなっており、長兄が仏教徒でお仏壇を守っており、法要たびに呼ばれ手を合わせていましたが、夫は「宗教は個人の自由だから」とわたしが教会にいくのに反対しませんでしたので、教会に通うことが出来、1999年に受洗しました。
Cさん
10年前に、教会の喫茶マンナで声をかけられ、お手伝いをしております。少しずつ教会の行事にも参加して、みなさんと一緒にお祈り、聖書を学び、讃美歌を歌うとなんとも不思議な心地になります。まるで、親の家に帰ってきたような気がします。ものがみつかったような感覚です。学生の頃、友人に誘われ教会に通い洗礼を受けましたが、就職、結婚、子育てと忙しく過ごす内に教会から遠のいておりました。こんなわたしでも、ここに来てもいいのか、ここにいてもいいのかと自問しながら、マンナのお手伝いと礼拝に通っています。