石本牧師

「幸せです」 代表役員 Gさん(80㈹女性)

わたしは、1939年足寄で生まれ、足寄で育ちました。

高校生のとき、一軒の家から流れてくる讃美歌に轢かれて、足を踏み入れたのが、きっかけです。歌うことが好きなわたしを、神様は讃美歌で教会に導いてくださいました。(当時は教会がなく、信徒の家で礼拝が開かれて、宣教師や近隣教会の牧師先生が来ていました。)

信仰に導かれ、みことば(ヨハネの福音書15章16節「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命いしました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、またあなた方がわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」新改訳2017)が与えられ、21才のとき受洗しました。

結婚してからは夫婦で足寄教会で信仰生活を送りました。

夫は天に召されましたが、神様が「人生の役目を終えるまで、置かれたところで神の愛をもって生きなさい」と言っておられると感じ、今も足寄教会に集い、教会代表役員の奉仕を担い、教会生活を送っています。

天の父なる神に愛と力を頂いて、教会の兄弟姉妹に支えられ、生きてきた幸せを感じています。

ご覧くださっているあなた様もイエス・キリストの良い訪れを知っていただけたらと思っています。あなたのお出でをお待ちしています。

「神様はつらいよ」  信徒 Oさん(60代男性)

 わたくし生まれも育ちも、中仙道は板橋宿です。幼少の頃より、毛虫、カエル、ヘビなどなど、生き物大好き少年でした。

興味が高じて北海道の生物学系の大学に進学し、卒業後自然豊かな足寄町に居を構えました。

わたくし、映画「男はつらいよ」の『寅さん』に心酔し、シリーズ48全作(ただし、リメイク版1作、昨年上映の「おかえり寅さん」の記念版を含めると50作品)を完全制覇。なおかつ寅さんの生家、柴又界隈を幾度となく散策するのが生涯の楽しみにしております。

 わたしの実家は、神棚も仏壇もない家でした。よって神仏に祈りをささげるという習慣自体ございませんでした。

そんなわたくしも27歳で結婚するわけですが、相手はクリスチャン家庭で育ったバリバリのクリスチャン。想像してみてください。しかしながら、遠回りをしましたが、20年ほど前に無事、洗礼を受けました。まあ、寅さん同様、細かな面倒は嫌いなので、すべて神様に丸投げした次第です。それからが聖書との悪戦苦闘の日々が始まるわけです。もっとも初めの創世記から躓きの連続となっています。

足寄教会は現在無牧状態です。月に一度のメッセージを任され、自分の理解を超えた聖書の疑問点、矛盾点を一つずつ克服する日々が続いております。

先日、99歳で他界された瀬戸内寂聴さんは愛の人です。寅さんも相手の女性の将来の幸福を願い、ことごとく失恋するのですが、これこそ究極の愛ではないでしょうか。寅さんも愛の人です。こんなダメ人間なわたしを拾ってくれた神様は大変だと思います。これも愛そのものです。「神様」つらいでしょうけど、今後ともご一緒させてください。

牧師からのごあいさつ(教会に来た経緯と証タイプ)

吉岡牧師

初めまして。牧師の吉岡 智子と申します。ご覧いただきありがとうございます。

私は子供のころ、マザーテレサやキング牧師、三浦綾子さんの著作「塩狩峠」などを通してクリスチャンという存在を知り、その生き方に尊敬と疑問を抱いていました。

疑問を正直に申し上げますと「どうしてこの人たちは親切だったり、敵さえも愛し自己犠牲ができるのだろうか、皆そうなのだろうか。本音はきっと違うのではないだろうか…」と疑っていました。みなさまはどういった印象を持っていらっしゃいますか。

そういったことをぼんやりと思っていましたが、23歳の時に友人に誘われて教会に行き、イエス・キリストという存在を知り、その疑問の答えを得ました。

そして、私の人生を大きく変える言葉と出会うことになります。その言葉とは……少し長くなってしまうので、直接お会いできた時にお話しできたらと思います。ご興味がある方はお気軽にお声がけください。

私はそれまで生きる意味がわからず、漠然とした不安があるものの「人生そんなものだろう」と思い娯楽を求めて生きていましたが、その言葉とクリスチャンを通して大きな喜びが与えられました。

聖書は世界一のベストセラー本ですが、難しく感じられると思います。礼拝で、できるだけ分かりやすく噛み砕いてお伝えしたいと思います。

分からないことがありましたら何でもご質問ください。みなさまのお越しをお待ちしております。(590字)

私が教会に行くようになったキッカケ

Hさん(50代女性)

私はこの町に40年以上住んでいます。

私の実家は、宗教的には仏教徒を名乗っているものの、お正月は神社へ初詣に行き、クリスマスは家でパーティーをし、祖父母のお墓は地方のお寺にあってお墓参りや法事に行く、といった日本ではごく一般的な家庭でした…続きを読む

 


 

Kさん(30代・女性)

私の教会に行くようになったきっかけは、母からの勧めでした。大学に入学するまで田舎から一歩も出たことがなかった私は、都会での一人暮らし生活になじめずにいました。大学に行っている間は良いのですが、そうでない時は寂しくなりました。

田舎の母にそういった話しをしたところ、「知り合いの牧師先生がいるから訪ねてみては」と勧められました。その牧師先生の教会に行ってみると、いろいろな方がおられました。先生にはよく声をかけてくださり、お家にも呼んでいただいたりし、そういった経緯から教会に通うようになりました。

 


 

Eさん(50代・女性)

今から25年前、私はカナダで初めてキリスト教会に行きました。語学学校に行ったのですが、そこで知り合った方から「現地の方と知り合いになれるので一緒に教会の日本語部に行ってみないか」と誘われたことがきっかけでした。

キリスト教には興味はなかったのですが、礼拝の中で日本人の婦人宣教師が、自分が派遣されるまでの経緯を話され、何の援助もない中で神様の導きを求めて祈り、派遣先との関係や費用など必要なこと全てが与えられたという話をされました。

私はその話を聞いて、キリスト教にはこんなふうに神を頼り、その神に祈りを叶えていただくという生き方をしている人がいるのかと驚かされました。そしてキリスト教の神とはどんな神なのか知ってみたいと思いました。

しかしこの教会に行くのに1時間半かかり、朝が弱い私には無理だろうと思いましたが、不思議なことに日曜日の朝になるとすぐに目覚めることができ、気づくと毎週欠かさず礼拝に行き、聖書の学びやお祈りの会にまで参加していました。

その中でキリスト教の神は愛のお方であり、また義なるお方であることを知りました。

カナダから帰国後、私は教えていただいた教会に行き、洗礼を受けました。それ以来、神様はいつも私と共にいてくださり、私を守り、助け、導いて下さっています。